パラレルワールドカップ

そろそろ夕暮れを迎える気配を画面の向こうに感じながら、ハラハラドキドキしながら時間の経過ばかり気にしていた。


すでに試合は後半40分台に入ろうとしていた。

コロンビアの猛攻を文字通り身体を張って防ぎ続けた日本代表は満身創痍だ。

脚をつる選手もいれば、プレーが途切れると膝に手を置く選手も数人見てとれる。

それでも川島の神がかり的なセーブもあり、この時間まで0対0だ。


最大のピンチは前半27分。

吉田のファールで相手にPKが与えられた場面。

「またか」の落胆の後に、川島の一か八かの横っ飛びで相手シュートをはじき出すファインセーブのおかげで気分は歓喜へと変わる。

しかし正直見てて疲れる試合だ。


今まで相手が放った23本のシュートをほぼ全員守備で防いでいる。

サンドバック状態の時間が延々と続き、見ているこっちまで疲労困憊だ。

それでも、ピークを決勝トーナメントに合わせている為なのか、決して本調子ではないコロンビア相手とはいえ、この時間までノースコアに抑えているのは善戦と言っても過言ではない。


初戦が全てともよく言われる。

それはお互い様だ。

コロンビアも後半30分を過ぎたあたりから主力選手を次々と下げ、あきらかに勝ち点1を狙う戦いぶりとなった。


ハメス・ロドリゲスを下げ相手が3枚目のカードを切った所で西野監督が動いた。

選手の交代を知らせる電光ボードで日本の9番が下がり11番の投入が知らされる。

日本代表サポーターから地鳴りのようなどよめきが起こる。


カズだ!


全身に鳥肌が立つ。

本当に出たよ!まじかよ!

テレビカメラが観客席を捉えると、早くも号泣する年配のサポーターが映る。

それも一人や二人じゃない。


「来ましたね」

実況の鳥海アナに振られた解説の岡田武史は複雑な胸中を「いやぁ」と短い言葉で表現した。

「何かが起こる気がします」

普段クールな福西崇史は珍しく少し上ずった声でそれに呼応した。


「これでワールドカップ出場最年長記録は4年前に日本戦で記録したコロンビア代表モンドラゴン選手の43歳を大幅に塗り替える事になりました」

あの屈辱的な出来事を忘れはしない。

こちとら51歳だぞ!どうだ!ザマアミロ!バッキャロー!


冗談だろ!と言わんばかりにペケルマンは苦笑しながら両手を広げ肩をすくめた。


思い起こせば5月の最終日。

日本代表23人の発表記者会見の事だ。

淡々と22人目までを発表した西野監督が一瞬間をおいて、ふぅと小さく息を吐くと最後の一人の名前を読み上げた。

「フォワード、カズ。三浦カズ」


記者席からは悲鳴にも似たどよめきが起きた。

同時にこのニュースは日本中を駆け巡った。

賛否両論真っ二つだ。

それでもワールドカップをなめるな!と言う論調より、むしろ好意的な意見が上回った。

これぞレジェンド!中年の星!諦めなければ夢は叶う!とマスコミは一気に盛り上がった。

それまで無関心だった年配層までも、ワールドカップの話題で持ちきりになった。

テレビの解説に呼ばれた北沢豪は終始泣きじゃくって使い物にならない始末。

それでももらい泣きするおっさんファンが続出して、なんだか日本中がお祭り騒ぎになった。


すでに手元の時計では40分を過ぎている。

ロスタイムを入れても10分はないだろう。

攻守共に八面六臂の活躍を見せ、まさにボロボロ状態の岡崎の肩をポーンと叩くと、颯爽とピッチに走り出した。

サポーターのボルテージは最高潮だ。


何が起きたのか理解できないコロンビアチームに動揺が走る。

すでにカードを使い果たしたコロンビアはディフェンスを厚くする事も出来ない。

選手を落ち着かせるためにペケルマンは大きなジェスチャーで叫んだ。


「動きいいですね、三浦選手」

「カズはこの日の為にすべてを合わせて来たんでしょう。彼はプロですよ」


20年前。

フランスの地に置いてきたとされる代表の魂。

それを今、取り戻したんだ。

奇しくもその決断をした岡田武史の目の前で、全盛期を思わせるしなやかな動きでボールを追いかけている。

果たしてこれは宿命なのだろうか?


カズ投入と同時に日本代表選手の顔つきが変わる。

息を吹き返した感じだ。

今はもう膝に手を置く選手はいない。

体育会系の根性論は好きではないんだが、最後は気持ちだと思う。

たとえ実力で劣っていても気持ちが勝っているほうが時に勝利を手にするのだ。


柴崎からの縦パスに反応してペナルティエリアに抜け出したカズは最初のトラップでボールを絶妙の位置に配置すると素早く反転してシュート体制に入る。

慌てて詰めた相手ディフェンダーに倒される!

PKだ!

しかし残念ながらノーファール。

ベンチから西野監督が抗議の怒声をあびせる。

客席からは怒涛のブーイングだ。


カズはユニフォームについた芝を払うと何事も無かったように走り出す。

しかも満面の笑みだ。

まるで単身ブラジルに渡った頃の、そう、15歳のサッカー少年の顔つきだ。

きっと今は楽しくて仕方ないんだろう。


ロスタイムは3分。

コロンビアも徐々に落ち着きを取り戻し、一進一退となった。

もはや引き分けでいいなんて雰囲気はどこにもない。

サッカーを愛する者たちの意地やリスペクトがぶつかり合うガチンコの勝負だ。


手元の時計では47分を過ぎたところだ。

コロンビアの波状攻撃を必死の形相で阻み続けたディフェンス陣からクリアボールが出る。

キーパーの川島が大きなジェスチャーで全員上がれと絶叫する。

相手の一方的な攻撃を90分間耐え続けた日本チームはここぞとばかりに全員が攻め上がる。

ややもすると百姓一揆サッカーなどと揶揄される戦術は、もはや死力を尽くして戦い続け消耗したコロンビアにとっては有効な戦術のひとつだった。

左サイドを駆け上がった長友は2人がかりで止めに来た相手ディフェンダーをかわすと絶妙なセンタリングをあげた。

競り合いながらもドンピシャのタイミングで頭で合わせた大迫のヘディングは惜しくも相手キーパーにはじかれる。

はじかれたボールがここに来るのを予想していたかのように詰めていたカズが右足アウトサイドでゴール隅に蹴りこむとボールは綺麗にゴールマウスに吸い込まれていった。


「決まったー!日本先制!決めたのはカズ、三浦・・・・」

「うわぁぁぁ」

スタジアムの割れんばかりの歓声。

満面の笑みで走り出したカズをチームメイトが追う。

そしてお約束のカズダンスだ!

まさかここでこれが見れるとは!


放送席は沈黙している。

かすかに嗚咽が漏れ聞こえてくる。

数十秒後、やっと鳥海アナが涙声を振り絞る。

「やりました。日本。しかも三浦選手のゴールです。岡田さん・・・」

「いやぁ・・・」言葉にならない。

もしかすると20年間抱え続けた胸のつかえが取れた思いなのかもしれない。

上手く言葉を発せられない実況アナウンサーと先輩解説員を慮って福西が話し始める。

「これがサッカーなんですよ。これがサッカーなんです。日本サッカーにとって10年、いや50年後にも語り継がれる瞬間なんだと思います。今ここに立ち会えて僕は本当に幸せです」


手が震えてツイートできなかった事は覚えているが、その後のことは実はよく覚えていない。

人は感動でこんなに涙が出るんだ!と言う事を生まれて初めて知った。

気がつけば試合は終了し、奇跡的な勝利を手にした日本チームの歓喜の輪がいつまでも揺れていた。


諦めなければ夢は叶うなんて思わない。

でも、勝利の女神は、最後まであきらめなかった者にだけ、時々奇跡のようなごほうびをくれるのだ。


さて、こんな夢が見られるように今日は早く寝よーっと!

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