夏休み(アーカイブ)
夏。
海沿いの国道を西へ向かって走る。
遅い午後。
すっかり傾いたオレンジ色の日差しは、暑かった一日の名残と、茜色が紅に変わり、やがて群青色に染まる空を連想させた。
防砂林の切れ目から時折海が顔を覗かせる。
エアコンを切って窓を開けると、少し湿り気のある涼しい風が流れ込み、シャツの袖をはためかせる。
つけっぱなしのFMから、やわらかなFender Rhodesの音色が溢れ出し、一番好きな曲の始まりを教えてくれる。
なんてタイミングだろう!
幸せな気分に包まれる一瞬。
多分俺は今ニヤけているんだろう。
誰にかまうことなく口ずさむ。
ゆっくりと沈み始めた陽は、サックスのソロと絶妙のタイミングで夜の訪れを予感させる表情に変わっていく。
君の街まであとどれくらい?
水平線にすっかりと陽が沈んでしまうと、道も海岸線に別れを告げる。
T字路を右に折れしばらく進むと、両わきに商店街が広がる。
すでに夕飯の買い物客は帰ってしまったのか、人影はまばらだ。
比較的大きな交差点を右折すると急に道は寂しく表情を変える。
山に向かって登りがしばらく続き、街灯のない国道とは思えないほどの道幅の両脇には、ぽつりぽつりとすでに閉まっている商店が点在している。
場違いな明るさを放つコンビニエンスストアを最後に、まったく建物がなくなった。
つづら折りが始まる。
ヘッドライトに映し出される黄色のセンターラインを頼りに、それでも同乗者がいる時よりはいくぶん高目のアベレージでコーナーをひとつひとつクリアする。
お世辞にも俊敏とは言えない四輪駆動車は、それでも3500ccのエンジンが粘り強く重い車体を引き上げた。
思い通りのラインでコーナーをクリアするたび、懐かしい思い出がよみがえる。
FMからBoz Scaggsの「You can have me anytime」が流れる。
粋なタイミングだ。
今夜は80’s特集なのかな?
標高が上がったためか流れ込んでくる風も涼しさを増している。
君の待つ街まであとどれくらい?
今日から3日間。
なんとかやりくりして仕事は休みだ。
本来なら午前中に出発したかったのだが、無粋な会議に足止めを食った。
知り合いから借りた別荘に君と二人きり。
もともと現地集合の約束だけど、ここまで遅くなって君は怒ってるだろうか?
連絡がないところをみると、もしかしたら料理と格闘中なのかもしれない。
峠道を上りきると見晴らし台がある。
小さな売店がシャッターを下ろし、自動販売機の照明がひときわ明るい。
無造作に車を止めると、一瞬躊躇してからエンジンは切らずに降りた。
販売機に近づく間に、開けっ放しの窓から曲が変わったことが伝わる。
Grover Wasington Jr の「Just The Two of us」。
この曲がヒットした当時デート用に作ったマイベストの選曲と同じでなんだか照れ臭い。
て事は、お次はChristopher Crossかな?
缶コーヒーを買うとその場で飲むことにした。
待たせるのは悪いなとは思いつつも、この静かでひんやりとした空気にしばらく触れていたかった。
アイドリングの音と、気の早い虫の音だけが聞こえる。
山道に入ってから軽トラック1台とすれ違っただけだ。
連絡を入れようと携帯を手にして、フリップを開けたところで気が変わる。
別荘まではあと数十分。
たぶんパスタが調度いい加減に茹で上がった頃に着くだろう。
久し振りの再会。
少しは演出することにしよう。
遅くなった事に腹を立てるフリで、手放しの嬉しさをごまかそうとする君の表情が見たい。
コーヒーを飲み終わり、ごみ箱に放りこまれた缶が静かな夜空にカランと大きな音を立てた。
下りと上りを繰り返しながらも予想より早く別荘に着いた。
駐車スペースにリバースで車を止めエンジンを切ると静けさに包み込まれる。
荷物を下ろして別荘まで歩く間、胸がときめく。
どんな顔していよう?
まずは遅れを謝るべきか、それとも無言で抱きしめようか?
ログハウス風の別荘。
テラスへの木製の階段を上がり、扉を開こうとする。
鍵がかかっている。
鍵は彼女に渡してあるから、いきなり入って驚かせる作戦は中止だ。
仕方なしに扉を叩く。
しばらく待つが一向に扉が開かれる気配がない。
テラスを回り込むとリビングの明かりも消えている。
車の音に気がついて逆に驚かす作戦をたてたな。
ここは素直に驚いてあげるしかなさそうだ。
正面に戻ってもう一度扉を叩く。
人の気配がない事に遅まきながら気がつく。
嫌な予感が頭をかすめる。
3回目の呼び出し音で彼女は電話に出た。
「着いたんだけど」
「えっ?来てるの?うそ。」
「どこにいるんだよ」
「えっ?家、だけど」
「・・・・はぁぁ~。何でそこにいるわけ?」
「なんでって・・・どこにいるの?」
「別荘」
「・・・・・・」
一瞬の間を置いて、ごくまれに聞くことが出来る手放しの笑い声が電話の向こうで炸裂する。
「それ来週じゃん。間違えたの?バカでぇー!どうすんの?一人で」
「鍵ないんだけど」
「そっかー。あはは。マジうけるー」
「うけてないで何とかしろよ」
「いや、ムリだよ。今から行けないって」
「だよなー」
「どうするの?」
心配そうな表情が声に混じる。
「仕方ないから帰るわ」
電話を切るとさっきより何倍にも重く感じられる荷物を持ち上げ車へ向かう。
シートに腰を沈める。
イグニッションを回すといまいましい程、瞬時にエンジンがかかる。
これから家までのルートを頭の中でイメージしていると、バイブレーションが着信を知らせる。
「間違えた」
彼女だ。
いくぶん沈んだ声。
何を間違えたんだろう?
「あたし。間違えたの」
「なにを?」
「今週だった。約束」
「・・・・だろーっ!」
「ごめん・・・」
不思議とホッとした感情が込み上げる。
「どうしよう・・・」
消え入るような声。
愛おしさが胸を浸す。
「迎えに行くから、準備しとけ」
「うん。わかった。ごめん」
少しだけ明るさを取り戻した声に疲れも吹き飛ぶ。
「飛ばしていくから」
「無茶しないで、待ってるから」
「おうっ」
電話を切りライトを付ける。
FMのスイッチを入れるとさっきまでのDJのナレーションが聞こえる。
サイドブレーキを外しギアをドライブに入れる。
フットブレーキからアクセルに脚を移動させようとしたところでまた着信。
「あのさ、ちゃんと入れたから」
「何を?」
「エプロン」
「なにそれ?」
「裸エプロンするの。えへへ」
FMからBobbyCaldwellの「Stuck On You」
相変わらず絶妙のタイミングだ。
※2004年8月 インフォシーク「プロフィール」掲載
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