弱者
20代を過ぎたあたりから年齢と共に体力の衰えをひしひしと感じているんだけど、それと反比例して知識や経験が増え社会的地位も上がったりなんかしてると、なんとなく全体ではバランスがとれて「まだまだ若いもんには負けないよー!」的な気分でいれたりするわけです。
往々にしておっさんが偉そうなのは、そうする事で自分の存在価値を世間にアピールしたいって感情からなのかもしれません。
ところが、ある時点を境に社会的な地位も下がり始めるんだよね。
以前なら終身雇用制のおかげで会社での地位は余程ヘマをやらかさない限り定年まで上がり続ける、少なくとも下がる事は無かったんだけど、昨今では50代も半ばになると役職定年なんつって役職は外されるは、給料は下がるはと、出来れば早く辞めて欲しいんですけどぉ的な仕打ちを受ける事になる。
かく言う森野もそのレンジだ。
まぁ定年退職で、ある日を境に一気に奈落の底に落とされるよりは徐々に慣れておきましょうって事とも取れるんだけどさ。
でだ。
それまでの役職なり地位が外れた途端、あからさまに態度を変えるヤツっているんだよね。
確かに過去の労に対してリスペクトしてもなんの見返りもないわけだから、それならその労力をもっと価値のある人に向けて使おうっていう至極効率重視なスタンスではある。
つまり俺は会社にとって価値の無い人間になってしまったわけだ。
例えば社会生活の様々なシーンで職業を聞かれることがある。
お金の絡む場合なんか間違いなく勤務先や年収なんかを問われるわけです。
結局のところ、どんな会社にいてどんな地位にいるかとかが、社会にとっての価値基準だったりするわけで、だとするとそろそろ俺も社会にとって価値の無い人間になろうとしているって事だ。
この先、働けない世代はお荷物でしかないって考える若い世代が増えていく可能性は決して低くないと思うんだよな。
「社会にとって価値の無い人間は抹殺せよ!」なんて考え方は「そんなこと言うやつはおらんやろー」って思うかもしれないけど、相模原の事件や元フジテレビのアナウンサーの発言に対してその姿勢は糾弾しながらも、ある部分では同意している人たちが少なからずいるとすると、意外と近い将来スタンダードな考え方にならないとも限らないよな。
たぶんね「安楽死」って言葉を使った姥捨て山的な制度が議論される日もそう遠くないんだろう。
例えば歳をとって、あるいは病気をして動けなくなった人間を社会保障で守る社会
今の我々が作り上げた社会は果たして間違っているのか?
長谷川なんちゃらの言うように、今の社会保障制度は間違っているんだろうか?
「お金払えないんならこの薬さし上げますので死んでくださいね」
そんな社会になるのかな?
なるんだろうなー(うんざり)
ところで相模原の事件の時にあるコラムで読んだ「ヤフー知恵袋」の回答がすごい心に残った。
自然界は「弱肉強食」ではなくて「適者生存」
個体としては弱者に属する人類は自然界で生き残る為に「社会性」を生存戦略とした。
自然界の様々な条件に対応する為、人類は様々なパターンを残そうとしているという説だ。
個体同士なら圧倒的に強いトラは絶滅の危機に瀕しているのに、ウサギは世界中で繁栄しているのが事実。
個体自身の強い弱いは種として生き残る事にはあまり影響が無いと言う事だ。
なるほどなー
社会にとって価値があるかないかじゃなくて、どんな人にも価値ある社会であって欲しいと思います。
その為に出来ることはやらなきゃなんだよね。
よし!税金払う為にレンズ買うぞー!
と思ったけどお金がない(ぐっすん)
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