こんな写真が撮りたい
あるモデルさんがお友達のモデルさんを撮影した写真を見てちょっとショックというかジェラシーすら覚える。
そりゃ反則でしょうって勢い。
お友達だからなのか、きっと撮影会なんかでは見せないような表情が捉えられてて、あー、こりゃ敵わないやって思う。
撮影者からすると「ただシャッター押しただけで、モデルさん頼りなんです」なんて言ってて、たぶん本当にそう思ってるんじゃないすかね?
謙遜とかじゃなく。
でもって、もっと撮影上手くなりたいから勉強しようとも。
向上心をもって学ぼうとする姿勢は素敵だなぁと思うし、尊重したいとは思うんだけど、逆に変な学び方はして欲しくないなぁとも思う。
知識や技術と引き換えに瑞々しさを失っていくカメラマンさんも少なくはない。
確かに写真においても文法ってありますよね。
首切りだとか串刺しだとかはもとより、頭の上の空きと足元の空きの比率やら、画面の黄金分割、被写界深度だの回折現象だの、白とびとかぶっとびとかおったまげとか。
写真において視線の動きや色調の持つ心理的影響とか考慮した、いわゆる納まりの良い構図ってのもあります。
写真展や雑誌の投稿なんかを目的に撮られたり選定作業をすると、どうしても文法的にマイナス要素のある写真を選外にしがち。
でも、もしかするとそんな「外れ」の中に瑞々しい写真がまぎれてはいないだろうか?
知識がない頃には「なんかこれ良いな」って選んでたような写真。
「あーこれスゲー表情いいんだけど、ピントが甘いなぁ、とほほ」なんて経験は皆さん多かれ少なかれあると思うんですよね。
でも実はそんな写真が誰かの心に残る写真なのかもしれません。
結局のところ写真って、被写体との関係性。
シャッターを押すタイミング。
で、最終的にセレクトが重要なんだろうと思うんです。
「ただシャッター押しただけで、モデルさん頼りなんです」な写真も、撮影者を信頼して特別な表情やポーズをして、撮影者はその瞬間に魅力を感じてシャッターを押して、そしてそんな写真の中からお気に入りを選ぶ。
その結果、森野の心を打つ写真が日の目を見てるわけなんですよね。
文法に沿った写真なら、いずれAIが進歩すれば勝手にカメラが補正してくれる日が来るかもしれない。
それもそう遠くない未来に。
でも、つま先が切れていようが、ハイライトが白飛びしてようが日の丸構図だろうが「なんか良いな」って写真はあるわけで、俺はそんな写真を大切にしていきたいなー!と思うわけです!
っていう長い言い訳(滝汗)
ちなみに森野が一番好きな写真家は梅佳代さんです(他意はないです他意は)
0コメント